温泉街はいわば温泉宿過当競争地域。差別化・サービス・宣伝なくしては存続できない。 廃墟を訪れるたびに、経営とはなんなのかを考える。驕れる者は久しからず。儚い夢だ。 2004年11月。ロビーはそれなりに片付いている。 しかし2005年6月にはこの惨状。DQNに見つかると廃墟はこうなる。 2004年に既に荒らされていた事務所。大抵債権者が金目のもを物色して荒れる。 タイムカードが置き去りになってるということは賃金計算をしていないということだ。 2004年大広間。 半年後、障子はこのとおり。 大浴場2004。浴室はタイル張りで経年劣化しにくいが、湿度が高いとカビだらけになる。 2004宴会場舞台。バヤリースに注目。 明らかに飲んだ後が。画面右下の開栓済みバヤリース2本。栓抜きまで落ちている。 布団部屋。廃墟後には湿気が溜まりやすく、カビの温床になる。 このホテル自体はどこにでもあるタイプの和風温泉宿だが、 半年でこれだけ散らかされるケースは珍しい。物凄いパワーのDQN。 隣接してオーナー自宅がある。天井が高く高級感のある家。 2003年の12月まで住んでいたらしい。JAFメイトが配達されている。 2004年には散らかっていなかった。DQNが来るとたちまちビンゴ大会だ。 「持っていかない、おいて行く」。家具がほぼ無いということは差し押さえではないということ。 ガランとした空家。建ててそれほど年数が経っていない。 こちらはホテルの従業員室。このヴィトンのバッグは2004年11月まではあった。 シャネルのエナメルもそのまま。オーナー家より慌てて出て行った形跡がある。 アルバムもそのまま。大学一年の夏の写真。大事なものではないのか。 高校生時代は半分ヤンキーだったらしい。日本人らしからぬファッションセンスだ。 ゼミ旅行の写真。ほぼ全員聖子ちゃんカット。時代を物語る。 いずれにせよ思い出は置き去りだ。 芸妓組合写真。赤い制服が印象的だ。みんな今どこでどうしているのだろう。 営業当時のFY荘カウンター。あの散らかされた空間は、昔こんなに生き生きとしていた。 まさかこうなるとは想像も付かなかっただろう。ダルマは全てを見ていた。
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